浪人II―16

やあす…はぁはぁ…帝王です…はぁはぁ。


昨晩は一時半に床についたので八時に目覚ましをかけたがおきられなかった。だが九時半にシュッツ合唱団の淡野先生からお電話が!「十時半から西荻の本郷教会で復活祭があるんだけれど、お時間があればどう?これから礼拝に関わっていく上で、それがどういったものなのか理解しておいてもらいたいから」ですと。十時半てあと一時間しかないやんけー!マッハ5で布団たたんで掃除機かけて朝飯つくって食って着替えシルクのパジャマ浴槽で手洗いしててコンタクトいれて髪セットしてコインランドリーいって駅までチャリでマッハ8。しかしなんと休日は西荻窪中央線通過!なので三鷹総武線にのりかえ。いま11:13で総武線。本郷教会は迷わなければ確か駅徒歩8分。ぐはー間に合わん。西荻から界王拳つかうしかないなこら。あわわ。あとひと駅だ。


まあ演奏に参加しろと言われなかったのが唯一の救いか。とにかく急ぐ。あと半駅。はぁはぁ。

頭がIPPAI

本郷教会で復活祭の礼拝に参加してきました。遅刻したので二階席(淡野先生がオルガンをひかれるところ)から礼拝を見下ろししかも上から讃美歌を歌うという反則技を使用。シンプルな讃美歌だっから初見で歌えました。


その後は淡野先生に誘われるままに昼食をおごちそうになり、キリスト教について、ルターとシュッツとバッハについて、プロテスタントについて、信仰について、神と人間について、キリストの受難と復活と昇天について、反対の一致について、予備校生活について、音楽を「聴く」ことについて、勉強と家事について、先生のご家庭について、発声について、など二時間以上お話ししました。頭いっぱい。いっぱいいっぱい。


前回の練習で耳にして以来一番きになっていた「」反対の一致について。反対は一致しねぇだろ、とずっと悩んでいましたが5%くらい解決しました。反対、とは、まずベースとして自分がある。そして、無限遠に神がいる。信仰によって両者はつながる。そこまではわかったが、先生はその前に「仏教と違い、神(ゴッド)は人間とは交わらない(仏教では人間は仏になれると説く)」とはなされた。そのへんが釈然としない。まあ難しいはなしなので即座には理解できないだろうけど。こんど先生に聞いてみよう。ただ、「反対」という言葉について、まず絶対的存在として自分が存在しないといけないということがわかっただけでももうけもの。そして歌においては、それが声帯と神(無限遠)という関係になるということを教わったのが一番大きい。声は無限遠から声帯に届いて、それを矢のように無限遠に返す作業なのね。だからただ声を飛ばすだけではなく、まず無限遠から声を授かるという意識がないと、歌にならない。これはかなり重要でしょう。


他にも「声帯と耳はつながっている」など興味深い話はそれこそ腐るほどあったというか、すでに帝王の頭のなかで腐りかけているので、帝王はもういまのことだけ考えて、夜になって寝てから頭のなかで整理します。一年ぶんくら学んだ。それと、「家事に疲れたら勉強する。勉強に疲れたら家事をする。あまり世俗的な意味で用いてはいけないけれども、それも反対の一致」というアドバイスは面白かった。


いやぁー頭いっぱいです。いまは吉祥寺で生活用品の買い出しをしているところ。吉祥寺のパルコ7Fの「キッチン・キッチン」は100均・500均でおしゃれな生活用品が揃ってて便利だよ。帝王は味噌汁茶碗(このあいだ落として割った)とカレンダーとメモ帳を買いました。315円なり。安い!もやしは10袋買えるがまあいいや。あと掃除機のフィルターとパタパタの換えとフキフキの換えとタッパーもかわなあかん。帰りにコインランドリー寄って家で勉強しながら家事しよっと。反対の一致反対の一致。


淡野先生、ごちそうさまです。久々にお腹一杯食べられました♪礼拝、月一くらい参加しようかな?クリスチャンではないが讃美歌は歌いたい。シュッツ合唱団で比較宗教学をやるとかなんとかいっていたような…んー違ったかな?興味ありマッスルハッスル。まあそれはそれとして、聖書の勉強とドイツ語の勉強をしなければならないといけないのはやや頭が重いよぅ。アーベーツェーデーエーエフゲー。


それにしても5月はバッハのカンタータを毎週演奏、9月にバッハのMesse H-moll、11にリストとシュッツのレクイエム(この間シュッツの作品の全作品録音計画を進行)、12月にドイツ演奏旅行(バッハのクリスマス・オラトリオおよびディストラーなどの作品を演奏)、1月に日本でクリスマス・オラトリオ、3月にバッハのヨハネ受難曲というのはハードというかなんというか。「今年はできるだっけ真剣に歌ってくださいね」(それが受験にもいい影響を及ぼす)と先生からじきじきに言われたので、なるべく参加したいっす。少なくとも来月のカンタータと9月のハーモール、それに月に一度くらいは教会の礼拝に参加してみたいっす
。ああ楽しみだ。


ではまたDeutschland。

ねみぃ

本日は東京にきてからはじめてのマンキツ利用でありんす。場所は吉祥寺のゲラゲラ。空いてるけど狭いし高いよ帝王失望。なにしにきたかっていうと別にマンガを読みに来たわけでもネットをしにきたわけでもなく、CDを焼きにきただけなのら。シュッツ合唱団の非買品CDを先日淡野先生にお借りしたのでね。フフ。せっかくパソコン使ってるので、上にちょろっと書いた「耳と声帯はつながっている」お話でも。


先生いわく、耳と声帯はつながっている。だから、いい音を聴かないといい声が出せない。CDは電子音だから、長時間聴くのはあまりよくないし、ただ聞き流すのでは意味がない。聴くなら目的意識を持って聴くべきである。また、ジャンルはジャズまでならOKだが、ロックまでいくと破壊的すぎて声帯にはよくない。


とのことです。デスメタラー・ブラックメタラーの帝王としては痛いお言葉。うるさい音楽を聴くといい声は出せないのね。それは薄々感じていたことではあるけれど。電子音(ギターとか)から純粋に音楽的なもの(倍音とか)を感じ取るのは難しいよなあ…。


それと、「目的意識」について。これは、上に書いたように、ただ聴くだけではいかんん、ということ。「この演奏からなにを聴きだすべきか」という意識を持ってCDを聴け、ということです。これは帝王自身最近気づいたことで、先日シュッツで練習したモンテヴェルディの「O primavella」(マドリガーレ集第3巻)を、楽譜を見ながら、シュッツの演奏(練習録音)と聞き比べながら、先生の指示を参考にしながら、主体的に聴くと、これまでとまったく違ったものを感じられた。ていうか帝王いままで自分がこの音源をもっていることすら気づいてなかった。まあそもそも7枚組だからテキトーにしか聴いていけど。まあとにかく、音楽はタレ流しではなく、できるだけいいものをピックアップしていくように心がけて聴くと、声帯にもいい影響を及ぼす。今後は1日数曲に限定して、集中して聴くようにしようかな。


それとそもそもの主張として、「CDより生の演奏を聴きなさい」と言われました。そりゃそうだ。でもいい演奏を聴く機会がないのよね。今年はアーノルト・シェーンベルク合唱団とスウェーデン放送合唱団が来日すると聞いたので、是非聴きにいきたいものだが…。なかなか演奏会の情報が入ってこないのが痛いところ。


そんなところです。今後は特に用がない限りマンキツは利用しない方針です。だってパソコンいじってるより生活してる方が楽しいもん。忙しいし。そういうわけでしばらくお暇しまっす。家帰って夕飯つくって11時には寝るよ帝王。明日は代ゼミのオリエンがあるような気がするがいまいち時間がわからないのでサボります。その前にテキスト交付の日に登校できなかったので、30冊くらいのテキストをとりにいくのと、あとは高校に「足きり食らいました書類」を提出しにいかんとならん。あとは家事と勉強か。


淡野先生の著書、『合唱修練』(ほしいひとは帝王に伝えてくれれば先生から直接買えます。書店には並んでません)に、

 歩いている時にも、電車にのっている時にも、何かしている時には、常にひたすらそのことに集中するよう努めてごらんなさい。それが集中力を養う最もよい方法です。声を出す時だけ集中力が必要なのではありません。

という言葉がありました。ながらはだめね。これから帝王は集中しながら歩いて、集中しながらコインランドリーにいって、集中しながら料理をつくって、それで寝ます。(勉強よりまず生活リズムやねん)…んーでもリラックスする時間て必要じゃありません?2つのことを同時に考えるな、ということかな。今度先生に聞いてみよう。ていうか集中しっぱなしってのは無理でしょう。


写真は復活祭でもらったイースターエッグです。中身はゆで卵。先生の分も頂戴して2つ食った。太らないと衰弱死しそうなのでなるべく食べるようこころがけてるわけね。でも今日は昼も大層なご馳走をしてもらったし、夜は豚野菜チャーハンをつくる予定だし、起きたのは9時過ぎだし、少々食べすぎな気もするのね。まあどうでもいいや。


そうそう、久々にパソコンを使って、「パソコンに座っている間は気を抜くと頭脳が停止する」と感じました。CDを焼いている間何度寝たことか。デプロメール(ルボックス)の副作用が久々にストレートにきました。意欲的に忙しいって大事なことなんだね。蛇足ながら、オボセン(メンヘル病院の先生)いわく、「向上心には二つあります。ひとつはこれではだめだ、もっとよくしないと、という否定に基づいた向上心。二つ目は、いまの自分はいい、そしてもっとよくなりたい、という肯定的向上心です。」。いまの帝王はどっちかな?イチロー流の「がんばる」と「向上心」、これが身に付けば帝王のうつ病も完治だ。完治は近い。フフ。かっこいいぜオレ。(←オボセンのすすめ。自分をほめる)あ、でもシュッツの先生には「ナルシシズムは自分を殺す」って言ってたな。まあ健全なナルシシズム、ってやつですよ。好きだ帝王。その調子だ帝王。ファイト帝王。


時間がむだなのでもう帰ります。今年一年パソコンを利用する機会があるかわからんですが、なんだかパソコンてあまり必要でない気もしてきました。ネットも興味ないし。いい兆候だ。便利だけどね。だらだらでれでれで申し訳ないが帝王は帰って家事して寝ます。


あ!ひとつわすれてたけど、今日は教会でパイプオルガンの仕組みについて教わりました。オルガンには原音を出す管と、2倍音を出す管と、4倍音を出す管の3種類があるそうです。その混ぜ方によって、音を笛のような音から、ギターのような金属的な音まで、なんでも出せるそうです。積年の疑問が解決した。そして生で、というか真横でオルガンの演奏を聴けて幸せでした。来週も礼拝に参加してみようかなあ。クリスチャンじゃないけどいいのかな?(牧師さんの説教で、「聖餐(パンとぶどう酒)は洗礼を受けていない方は受けられません」と言っていた。きて説教聞いて賛美歌歌うだけならいいのかな?)


無駄な話題が多くてスンマソン。通常料金で3時間もマンキツを利用してしまった。寝なければ1時間で済んだのに。仕送り日がまだなのにマンキツとかいってる場合じゃないよ。食っていけねぇ。あわわわわ。ではまた一人暮らし。



夕飯

例のチャーハンです。レシピには豚肉とネギだけという涙がでてくるような小品目の材料しかのっていなかったので、テキトーにピーマン、人参、佃煮、舞茸、もやしを投下。おまけにご飯は古代米という反則技のオンパレード。栄養的にはグンバツだが味はハテナ。野菜から水分が出たんだかなんだかしらないが、リゾットのごときべちゃべちゃ感。チャーハンてパサパサがいーんちゃいましたっけ。まあ腹に入れば一緒、と。それよりこれだけ食材を使うと果たして自炊が外食に対してお金の節約になっているのか疑問に感じてきたよ。一食400円には収まってないような…あわわわわ。

あぅ

家事がめんどくて飯くったままフテネしてましたよ帝王。A子からの電話で目が覚めた。


残っている家事:洗濯物をたたむ、風呂場に干しているパジャマ類を片付ける、食器を洗う、布団をしく、エトセトラエトセトラ…。先日オボセンとも話して、今日淡野先生ともお話ししたんだけれども、なにごとも「あーめんどくせぇ」と思ったら終りだね。楽しむ精神が大事。もちろんそれには楽しめる土台として精神的安定が必要なのだけれど。今日は一度にたくさん話を聞きすぎたせいか久々にパソコンの前に座ったせいかいまいち調子よくないわ帝王。


そう、それと一人暮らしをするときは手際のよさというか、優先順位を考えることが大切。今日は寝るのが優先。風呂場だけ片付けてあまったチャーハン冷凍してちゃっちゃか寝るかぁ。「明日できることは今日するな」なんて遠藤周作翁がかいとったな。寝るべ。夜更かしは体に悪いべ。てか明日合唱の練習だったべ。月曜は少人数らしいから個人レッスンしてもらうべ。民衆もなんかいい方向に考えるべ。


最後に、「自分はなにをしたいのか?」と最近思います。なぜ医者になりたいのか、判然としない。ひとを救うといっても所詮人間だから限りがあるし、命は有限だし、はたして自分が医学を志すのはなぜだろう。いまの気持だと、帝王はかつての自分のような悲惨な人間を立ち直らせたいと思う。それならば「病気ではなく人を診る」オボセンにつくか、あるいはその分野が発達しているUCLAに留学したい。とにかくいまの医学は間違っていると思う。細分化についても疑問を感じるし、病気であることをとことん否定する姿勢もおかしいと思う。そこんところを自分のなかで整理できれば、というより整理できないと、この先絶対に行き詰まるし、受験にも落ちると思います。本当に医学の道に進みたいのか、進みたいならばどうしたいのか、自分に絶対性を持たないといけない、と今日淡野先生とキリスト教について話をしていたときに感じました。なぜならば反対の一致を獲得するためには、土台たる自分が一つでないといけないからです。


ついでながら再び淡野先生とのはなしに戻ると、「神(キリスト=dextram Patris=神の右に座す、精霊)はすべてをつつみこみ、常に自分をみてくれている。世の中に偶然はなく、すべて神の御意思によるものである」という言葉にひっかかった。これはつまり、運命論のことをいっているのでしょうか?しかし続けて、「私達は神によって定められたレールの上にのっているけれど、社会には私達をそれから引きずり下ろそうとする誘惑や欲望がたくさんあるわよね。けれどそれでも神に与えられたレールに沿ってあるくのが一番いいのよ」とはなされたから、ある程度の意思は認めているのかもしれない。よくわかんない。神学、仏教(真宗における他力思想)などについてもしっかり学び理解する必要があると帝王は思いました。医師になるにしろならないにしろね。


あと声楽家を目指すという道もあるけれど、これは保留かしら。淡野先生に「あなたは素質がある」「筋がある」などお誉めの言葉をいただいたこともあり、その道も考えてみます。まあドイツには医学博士もちながら第一線の歌手やってる声楽家もいるしね。またも淡野先生のお言葉をお借りすると、「あまり社会的価値観に振り回されないことも大切」。これはいくやともはなしたよね。社会的価値観と内的価値観のズレ、というやつ。話がぶれますが「少なくとも歌を歌っている間は社会から離れ、神に近付くこと」というようなお話も今日聞きました。頭んなかがこんがらがってるので寝まーす。宗教と哲学と歌(医学)、この三つをうまく関連付けられると頭のなかのもやもやが消えるのだけるど。信仰、って言葉でかくと簡単だけれど、ものすごく難しい。キリスト教が厳密で真宗は単純明快(南無阿弥陀仏)という違いもあるのだけれど。難しいはなしはおいておいて、帝王は寝ます。宗教の本と哲学の本とヨガの本と自殺学の本がツンドク状態でありんす。思考は人間に与えられた特権だから、時間のあるわかいうちにいろいろ考えないとね。とりあえ
南無阿弥陀仏と唱えておこう。


長くなりました。ねまーす。