シュッツ練習1

本日、初の東京ハインリッヒ・シュッツ合唱団の練習に参加。


短くまとめると、とても楽しかったです。それ以上は筆舌に尽しがたい。通常ならば一生かかって学べないようなことが、三時間で経験できました。


淡野先生についても筆舌に尽しがたい。ていうか今日の復習をしてたらもう3時になってしまったのでアレコレ書けないよ帝王。


どうしても書きたいことを一つ。淡野先生のお言葉です。固有名詞は自信がないですがお許しを。「エーリッヒ・フロムという哲学者が『愛について』という本で述べたことなんだけども、彼はこういっています。人間が堕落する道は三つある。一つは死を望むこと。二つ目は近親相姦。三つ目はナルシシズム。このうち一つでも当てはまれば、死ぬしかありません。歌うということは生きると言うこと、息をすることですから、絶対に死を欲求してはなりません」なぜ先生はこのょなことをおっしゃったのか。帝王は今年首をつり奇跡的に助かった人間である。帝王は歌う。だから生きる。すなわち死なない。決して。


ちなみに練習曲目は、モンテヴェルディおよびシュッツによる「O primavera」、シュッツによる「Also hat Gott die Welt geliebt」、ディストラー(ナチス時代のドイツ人で最後には自殺したらしい近代作曲家)による「BeschluB(Also hat Gott die Welt geliebt)」、バッハによる「ミサ曲ロ短調」のキリエ第3部。


モンテのマドリガーレはふつうに楽しい。テキストの意味を開拓していくところに喜びを感じる。シュッツのマドリガーレは同じテキストだがモンテのものより重い。解釈の違いか。ディストラーは複雑すぎて死にました。てへ。臨時記号つきすぎだから。そしてシュッツのモテットには和音の意味深さ(1単語1和音)を学んだ。バッハはまじで泣きそうになりました。なんて悲壮なキリエなんだ。歌いながら神に祈る。(帝王はクリスチャンではないが)いやほんと筆舌に尽しがたいキリエ。ものすげぇ。


あまりブログの意味を果たしていませんが、とにかくいろんなことを学んだ一日でした。うーむ。9月のミサ曲ロ短調にはのれるかな…ていうか維持でものります。つーかバッハも臨時記号だらけて別の意味で泣けるのだけれども。


「歌を歌うときは、あたかも息をすることと同じように、自然に」至言なり。これから楽しみダナ。いやまあバッハのミサロタは1曲240ページもあるので正直不安なんですが。だからこそ楽しい。譜面から音楽を感じる作業が体験できました。


やべ、今日も寝るの4時過ぎになりそーだ。「一瞬は永遠だ」「反対の一致」これも意味ぶかい言葉。シュッツで活動していくことは哲学的な体験でもある。うーむむむ。


これから楽しみです。コンサートきてね☆