太宰治のダメ人間文学に関する話

やあす。死に損ないの世紀の天才うちおです。フハハハ。


朝起きてから鏡をみましたが、顔の赤みはまだとれてませんでした。
誰がどう見ても病気。見る人が見たら自殺未遂ってバレるかも。
まあ気にしない。そして脳はいまのところ障害はなさそうですが、
(後から記憶力低下が起こるという話もあり。クワバラ×2。)
喉に痛みが。首を絞めたせいで甲状軟骨がつぶれたか。
ていうか甲状軟骨がつぶれたら発声に影響が出る。正常であってほしいです。
しばらく死ぬ気はしないので。まあ昨晩の夜は筋トレもしてヨガもして、朝ヨガもして、
バランス感覚も全く失われていない(ヨガ始めてから天才的なバランス感覚に)ので、
今後も障害は残らないであろう。と祈っております。この先自殺しなければの話でありますが。


さてさて。本日はボクの好きな太宰治の紹介であります。
といっても彼の作品はヒジョーに幅が広いので、今日は自殺小説に限ってプチ紹介。
一般的に太宰は「暗い作品ばっかり書くだめな作家」と思われがちですが、
それは間違いで、本当はギャグに満ちた作品を沢山残しております。
というのも彼は小さい頃から落語が大好きで、大人になってからも円朝全集を
愛読し、まだ青年時代は花柳界に出入りし、彼の文体はあたかも落語を聞いているような、
流れるような書き方。
ですので、小説としては、彼と面と向かって話を聞いているようで、
非常に読みやすいです。ていうかボクが太宰を好きなのは読みやすいからです。
なんか小説然とした硬い作品は読むのが面倒だからあんまり読みません。


という太宰ですが、彼は生涯に自殺未遂を4度犯しています。5度目で既遂に。
彼のバイオグラフィーについては調べればいくらでも出てくるので、
(興味のある方は『太宰治に聞く』を読んでみてください。現在積読中。あばぁ。)
詳しく書くと長くなるのでさらっと書くと、彼の自殺経歴は、まず睡眠薬服毒(20歳、
理由は不詳。『思ひ出』あたりに書いてあったかな?)、睡眠薬服毒+女と海に飛び込み
心中
(21歳、女のみ死亡。代表作『道化の華』などいろんな作品に出てきます。)、
首吊り(26歳、都進運者の入社試験に落ちたので。『狂言の神』などに登場)、
睡眠薬服毒+心中(27歳、姦通された妻と心中を試みるも失敗。『姥捨』に登場)、
そして入水+心中(39歳、愛人と玉川上水に入水。2人とも死亡。奇しくも太宰の
誕生日である6/19に遺体発見。)
そういうわけでまあ自殺グセのある彼で結局最後には死んでしまったわけです。
(そういえば昨日ドクトルKに「あなたみたいなこと(自殺未遂を繰り返す)をしてると、
どれかが本当に起こって死んでしまうんだけれどね」と嫌味を言われた。太宰だ。)


前置きがヒジョーに長くなりましたが、作品をちょこちょこっと紹介。
まず太宰の自殺文学としては恐らく一番有名であろう(?)、『狂言の神』より。
これは太宰が作家をやめてまで、新聞社の入社試験に「必ず受かる」と確信して受けた
試験に落ちたことに落胆して、首吊りを試みたという実際の話に基づいています。
では早速。ていうか読むのめんどくさいので適当に引用します。

...この編上げの靴の紐を二本つなぎ合せる。短すぎるようならば、ズボン下の紐が二尺。きめてしまって、私は、大泥棒のように、どんどん歩いた。黄昏の巷、風を切って歩いた。路傍のほの白き日蓮上人、辻説法跡の塚が、ひゅっと私の視野に飛び込み、時われに利あらずという思いもつかぬ荒い言葉が。口をついて出て、おや? と軽くおどろき、季節に破けたから死ぬるのか、まさか、そうではあるまいな? と立ちどまって、詰問した。否、との応えを得て、こんどはのろのろ歩きはじめた。死んでしまったほうが安楽であるという確信を得たならば、ためらわずに、死ね! なんのとがもないのに、わがいのちを絶って見せるよりほかには意思表示の仕方を知らぬ怜悧なるがゆえに、一掬の清水ほど弱い、これら一むれの青年を、ふびんに思うよ。死ぬるがいいとすすめることは、断じて悪魔のささやきでないと、立証し得るうごかぬ哲理の一体系をさえ用意していた。綿密の損得勘定の結果であった。私は、猛く行きとおさんがために、死ぬるのだ、いまさら問答は無用であろう。死ぬることへ、まっすぐに一すじ、明快、完璧の鋳型ができていて、私は、鎔かされた鉛のように、鋳型へさっと流れ込めば、それでよかった。スタヴロギンの真似ではなかった、いや、ひょっとすると、そうかも知れない。自殺の虫の感染は、黒死病の三倍くらいに確実で、その波紋のひろがりは、王宮のスキャンダルの囁きよりも十倍くらい速かった。縄に石鹸を塗りつけるほどに、細心に安楽の往生を図ることについては、私も至極賛成であって、甥の医学生の言に依っても、縊死は、この五年間の日本において八十七パアセント大丈夫であって、しかもそのうえ、ほとんど無苦痛なそうではないか、いちどは薬品で失敗した。いちどは入水して失敗した。日本のスタヴロギン君には、医師という手段を選出するのに、永いこと部屋をぐるぐる歩きまわってあれこれと思い煩う必要がなかったのである。...


こんな感じです。長くなってしまいました。太宰はどこで切るのか難しい。
大体の小説はこんな感じの独り言みたいな調子で延々と続いていきます。
なんか人の考えを透視しているみたいで面白いんですねこれが。


あまりに長くなってしまったので、紹介は上の『狂言の神』だけにとどめておきます。


ところで、ボクの最も好きな太宰作品は、ダントツ『人間失格』です。
「○○の好きな小説は?」と聞かれて、作家の最も有名な作品の名を挙げるのは、
なんとなくミーハーであって恥ずかしい気もするのですが、そんな気分を
ふっとばすほど、『人間失格』は衝撃的で破壊的な作品であります。
ボクはこれを中学生の時に読みました。確か太宰は『晩年』(最初期の作品集)から
読み始めて、あんまり面白くなくとばして、次に『道化の華』を読んで、
「作者が自分の小説について口を出す(読んでみてください)」という斬新な手法に
興味を覚え、さらに中学の理科教師に「うちおくん最近太宰治読んでるんだって?
人間失格』は読んだ?」と言われ、またSAPIX(塾)で配布されていた、
「文学紹介」みたいなチラシに確か『人間失格』が紹介されており、
とても興味をもち、すぐさまたまたま家にあったそれを取って読みました。
ボクの人生を決定的に変更した作品といっても過言ではありません。


読んだことのない方のために、チョー適当なあらすじ。
主人公の名は、大庭葉蔵。「手記」という形式で、太宰が葉蔵の姿を借りて、
彼の半生を語る、という作品です(太宰はこの作品を書いてすぐ自殺。)
あらすじっていってもストーリーがあんまりないんですが、葉ちゃんは小さい頃から
「社会からの断絶」を覚える子で、人間という存在がわからない。
やがて美術学校に入り、悪友を得て、それから遊び半分で非合法の社会主義運動に加わり、
女と心中をしたり、ヒモになったり売れない漫画家や春画のコピーをしているうちに、
妻が目の前で男に犯され、それから(実際は太宰が腹膜炎が原因で服用し始めた)
モルヒネの中毒になり、恩師にだまされて精神病院に幽閉される...というような話です。
もうどうしようもない。救いようがない。そんな作品ですが、素晴らしい作品なので
一度読んでみては。脚色等ありますが、大体6〜8割くらいは実話と思っていいと思います。
いわば太宰治の遺書のような作品。世界に残る名品。究極。感動。最高。
ここでは昨日触れた「喜劇名詞」についての一節を引用します。
悪友の堀木と自分のアパートで飲んでいるときの話。
少し長くなりますが興味のある方は読んでみてください。

 自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を断ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「いいかい? 煙草は?」
 と自分が問います。
「トラ。(悲劇[トラジディ]の略)」
と堀木が言下に答えます。
「薬は?」
「粉薬かい? 丸薬かい?」
「注射。」
「トラ。」
「そうかな? ホルモン注射もあるしねえ。」
「いや、断然トラだ。第一、お前、立派なトラじゃないか。」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬は医者はね、あれで案外、コメ(喜劇[コメディの略)なんだぜ。死は?」
「コメ。牧師も和尚も然りじゃね。」
「大出来。そうして、生はトラだなあ。」
「ちがう、それも、コメ。」
「いや、それでは、何でもかんでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「トラ、トラ。大悲劇名詞!」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ。」
 こんな、下手な駄洒落みたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗て存しなかった頗る気の効いたものだと得意がっていたのでした。
 またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語[アントニム]の当てっこでした。黒のアント(対義語[アントニム]の略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
 と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「ええっと、花月という料理屋があったから、月だ」
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語(シノニム)だ。星と菫(すみれ)だって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、蜂(はち)だ」
「ハチ?」
「牡丹(ぼたん)に、……蟻(あり)か?」
「なあんだ、それは画題(モチイフ)だ。ごまかしちゃいけない」
「わかった! 花にむら雲、……」
「月にむら雲だろう」
「そう、そう。花に風。風だ。花のアントは、風」
「まずいなあ、それは浪花節(なにわぶし)の文句じゃないか。おさとが知れるぜ」
「いや、琵琶(びわ)だ」
「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」
「だから、その、……待てよ、なあんだ、女か」
「ついでに、女のシノニムは?」
「臓物」
「君は、どうも、詩(ポエジイ)を知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」
「牛乳」
「これは、ちょっとうまいな。その調子でもう一つ。恥。オントのアント」
「恥知らずさ。流行漫画家上司幾太」
「堀木正雄は?」
 この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱な気分になって来たのでした。
「生意気言うな。おれはまだお前のように、繩目の恥辱など受けた事が無えんだ」
 ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけものの、謂(い)わば「生ける屍(しかばね)」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのように見ているのも、もっともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、
「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」
 と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。
「法律さ」
 堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆(あき)れかえり、
「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう」
 罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらいに簡単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。刑事のいないところにこそ罪がうごめいている、と。
「それじゃあ、なんだい、神か? お前には、どこかヤソ坊主くさいところがあるからな。いや味だぜ」
「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて見よう。これはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そのひとの全部がわかるような気がするのだ」
「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」
「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」
「悪と罪とは違うのかい?」
「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」
「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、神だろう。神、神。なんでも、神にして置けば間違いない。腹がへったなあ」
「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている」
「ありがてえ。好物だ」
 両手を頭のうしろに組んで、仰向(あおむけ)にごろりと寝ました。
「君には、罪というものが、まるで興味ないらしいね」
「そりゃそうさ、お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」
 死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処(どこ)かで幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。
 自分には、どうしても、正面切っての議論が出来ません。焼酎の陰鬱な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを懸命に抑えて、ほとんど独りごとのようにして言いました。
「しかし、牢屋(ろうや)にいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼(ああ)、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」
「ツミの対語は、ミツさ。蜜(みつ)の如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
「君が持って来たらいいじゃないか!」
 ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
「ようし、それじゃ、したへ行って、ヨシちゃんと二人で罪を犯して来よう。議論より実地検分。罪のアントは、蜜豆、いや、そら豆か」
 ほとんど、ろれつの廻らぬくらいに酔っているのでした。
「勝手にしろ。どこかへ行っちまえ!」
「罪と空腹、空腹とそら豆、いや、これはシノニムか」
 出鱈目(でたらめ)を言いながら起き上ります。
 罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容(あいい)れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時に、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」
 堀木の声も顔色も変っています。堀木は、たったいまふらふら起きてしたへ行った、かと思うとまた引返して来たのです。
「なんだ」
 異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階下の自分の部屋へ降りる階段の中途で堀木は立ち止り、
「見ろ!」
 と小声で言って指差します。


ちょっと長すぎましたね。この先は自分で読むときのお楽しみに…。
最近はネット上(青空文庫)で彼の作品が読めます。(著作権の期限が切れたので)。
今日紹介した『狂言の神』『人間失格』のリンクをはっておきます。
それと同じく前編自殺がテーマの『姥捨』(だいたい実話)も。
あとふつうに楽しい『愛と美について』(大層なタイトルですが、太宰の知り合いの家庭を
モデルした面白い小説。愛と美というのは2人の娘の名前についている文字のこと
だそうです。愛子と善美とか。しらんけど。)のリンクも。
そしてその続編の『ろまん燈籠』も。後の2編はふつうにギャグ入ってて面白いです。
それと200%ギャグの『黄村先生言行録』も。爆笑もの。
そして同シリーズの『花吹雪』も。爆笑もの。
そして同じく黄村先生シリーズの『不審庵』も。爆笑者。
ちなみに黄村先生というのは井伏鱒二がモデルだそうです。
あとついでに『道化の華』も。これは作品形式がものすごく斬新。
作者が「この小説はもう失敗だ。とか自分で喋りだす。」
ていうかネット上で彼の作品は大部分が読むことが出来るので、どうぞご活用ください。
ボクは本で読んだほうがいいと思いますけど。PC目が疲れるし。ではー。


本当に「ヨシ!読んでみるか!」という方のために、
人間失格』は結構長いです。中篇。本当に読むなら本買ったほうがいいかも。
狂言の神』は短いです。自殺がテーマですが太宰はアホなので面白いです。
『愛と美について』は割と短いです。話がすごく面白いのですぐ読めるかと。
ちなみにあらずじは、兄弟姉妹4人で、物語順番に語り綴っていくという斬新な話。
例えば次男が物語を始めて、その続きを姉が話す、とか。かなり面白いです。
続編の『ろまん燈篭』も同じ形式。短め。今度は同じ兄弟姉妹が小説を書きます。
メルヘンチックなストーリーが面白い。そして「息巻いたはいいが書けねー…」
と苦悶する次男(?)が面白い。
『黄村先生言行録』は短いです。ギャグ。全部ギャグ。太宰に対する偏見がある人は、
『愛〜』かこれをまず読んでみてください。短いし。
『花吹雪』は黄村先生の続き?年寄りの黄村先生が出した手紙の内容、という設定なので、
「〜候」とか古めかしくて読みにくいですがギャグ。内容はよく覚えてませんが
黄村先生シリーズは太宰作品の中でも屈指のギャグ作品だったと覚えています。
検索したら「ずっこけ武道」と評されて笑いました。
『不審庵』も黄村先生シリーズ。こちらは「ずっこけ茶道」。黄村先生シリーズでは
多分一番面白い。ほとんと漫才です。黄村先生おもしれー。
道化の華』は割と長め。読むの大変かも。でも面白いのでスラスラ読めます。
若者向け?とりあえず『愛と美〜』『不審庵』あたりを読んでみてください〜。
おもくそ面白いっすよ〜。ではまた人間失格


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