八方美人に関する話

今日は不眠で体調が悪く、それに加えて風邪もひいたので、半日寝ていました。
それをみかねた両親がまた勉強についてねちねちと。
父親の口からは「いい加減にしないと母さん自殺するぞ」などの
突拍子もない言葉も。ボクもうへとへと。
でも昼過ぎから起きて、というか起こされて、ちょっと元気に振舞ったら、
家族間の殺伐とした雰囲気が少し和らぎました。


日本人は誰にたいしても調子よく振舞うひとを「八方美人」などと軽蔑するクセがありますが、
ぼくは八方美人がそんなに悪いことかなあ、と思います。
むしろ我を通すと、他人がいやな思いをして、それが波及して自分に回ってくる
ことの方が多い。そこで自分がどう振舞えば他人にいい影響を与えるか、ということを
考えて、その人その人にあった接し方をすると、相手の気持ちがよくなり、
その影響で自分も少し気が楽になる。そういう循環の方が往々としていい結果を招くと思います。


以前読売かなにかの訃報だったかに、「○○さんは、会話の上手い人だった。
会う人ごとに話し方を変えて、その人にあった話題を振り、
専門的な話しもする。これが究極的な対話のありかただろう」というようなことが
書いてありました。ぼくはそれを読んでなるほど、と思いました。
相手にあった話し方をする、これは会話において最も大事なことの一つかもしれません。
「八方美人」であることが、自分と相手との関連においては、
究極的なありかたである、というわけです。


ぼくなんかもメールする相手によって口調を大幅に変えたりしますが、
それが決して八方美人だとは思いません。もちろんある程度は誰であっても
することだと思います。それを意識することが大事である、と思います。
処世術、でしょう。投げやりですがこの辺で。ではまた。