痛みに関する話

(※あとで明日の記事に移植します)

日経の22日付けの記事で面白いものを見つけました。
見出しは「痛みと付き合うコツ―筋肉ほぐして結構促し予防」。
長くなりますが、以下引用です。

(慢性的な痛みの)原因は自律神経である交感神経の興奮で生じる「痛みの悪循環」と呼ばれる現象だ。けがや病気で急に痛みを感じると、1)交感神経が興奮して筋肉が緊張する2)血管が収縮し血行が悪くなり、老廃物や痛みを感じる物質が排出されず筋肉にたまる3)筋肉が痛くなり交感神経が興奮し続ける。
もともとある痛みの原因にひどい筋肉痛が加わり、慢性化していく。
痛みを何週間も我慢し続けていると、脳に「痛みの回路」ができると言われている。脳の神経網が「痛い」という信号をより伝えやすくなる。ささいな刺激にも敏感になり、なかなか痛みはとれない。
痛みをため込まないためには、マッサージやストレッチで筋肉の緊張をとり血行をよくしよう。

これを読んで、これは精神についても全く同じことが言える、と思いました。
つまりなにか辛いことや辛い思いを長い期間していると、脳に「痛みの回路」ができ、
些細なことにも傷つきやすく、心はどんどん脆く悲しいものになってゆく。
そしてその悲しいという気持ちが、辛い経験を連続的に生み出してゆく。
そうならないためには、まず辛い思いを長い期間しないと、つまりマッサージや
ストレッチにあたるような、息抜きや相談して気分を晴らすことが大事ですが、
一度慢性的な痛みに陥ってしまうと、容易なことでは回復できない。


記事では、そのような状態に陥ったときは、専門外来に行き「神経ブロック」などで
痛みを和らげ血行をよくすることで、症状を改善することができると書いてありました。
これを精神に敷衍するならば、痛みの連鎖から逃れるためには、まず一時的にも痛みから
なにかしらの方法で逃げなければいけない。しかしそれは身体の痛みに対する
神経ブロックのような、定まった方法では不可能で、時にそれは
自分の中でなにか「革新的」ともいえる変化が起こらなければ無理である。
たとえるならばそれは斜面の上においてある物体を押すようなもので、
力を加え続けた場合、静摩擦力の限界を超えると、突然にググッと物体は
斜面を折りはじめ、動摩擦力に抵抗しながら斜面を折り始める。
このように、精神においてなにかプラスするような出来事がおこれば、
それまで反応していたささいな刺激には鈍感になり、快活な気分で日々を過ごすことができる。
しかしそれは、それは必ずしも自分の力のみで為しえることではなく、
他人の力を借りたり、運や縁に頼ることも必要になってくる。
ですから自分が立ち直るためには他人に甘えることも、自分に甘えることも、
また運や縁に甘えることだって必要になってくる。
そして一度静摩擦力の限界を超えれば、また少なくとも少しの間は、
元の生活に戻れることができる。そのようなことの繰り返しを経て、
少しずつ気分を回復していくものなのだと思います。


自分において、静摩擦力に対するプッシュは例えば買い物をしてCDや洋服を
買うことで、少しの憂鬱くらいなら吹っ飛ばすことができる。
長期的には、合唱をやることで、いわば合唱に甘えることで、
苦しみを忘れることが出来る。しかし合唱にはエネルギーが必要ですから、
合唱に打ち込めるだけの精力も必要です。
ですから、今年一年間は予備校にも出席せず、マンガ喫茶に行って寝るなど、
勝手に過ごしていました。また高校三年間も授業は寝たり学校には行かなかったり。
重要なのは、ものの見方は決して一つではないということです。
ですから、痛みの連鎖から避けるためには、自分を休めて、
自分を後押ししてくれるようなことを探したり、待ったり、
求めたりすることが必要である。


この記事を読んで、そのようなことを思いました。