浪人ニッキ52.5

昨年の暮に老母が死んだので、私は十年振りに帰郷して、その時、故郷の長兄に、死ぬまで駄目だと思え、と大声叱咤されて、一つ、ものを覚えた次第であるが、「兄さん、」と私はいやになれなれしく、「僕はいまは、まるで、てんで駄目だけれども、でも、もう五年、いや十年かな、十年くらい経ったら何か一つ兄さんに、うむと首肯させるくらいのものが書けるような気がするんだけど。」
 兄は眼を丸くして、
「お前は、よその人にもそんなばかな事を言っているのか。よしてくれよ。いい恥さらしだ。一生お前は駄目なんだ。どうしたって駄目なんだ。五年? 十年? 俺にうむと言わせたいなんて、やめろ、やめろ、お前はまあ、なんという馬鹿な事を考えているんだ。死ぬまで駄目さ、きまっているんだ。よく覚えて置けよ。」

(太宰治『鉄面皮』より)


最近この、死ぬまで駄目だと思え、という言葉が好きで、よく心の中でこの言葉をつぶやきます。
死ぬまで駄目だと思え、いや、いい言葉です。
ぼくは人生というものに対しては、大分昔から一切の希望らしきものは捨てているのですが、
この言葉は正にそんな心境を一言で表したものと言えましょうか。
希望を捨てさり、深い諦めの気持ちを持つと、いかなる醜態も受け入れられるようになります。
諦念から始める生き方というのも、いいものかもしれません。


いい具合にFFのデータが飛んだので、明日あたりから少しは勉強に身が入るかなと思います。
というより、そうなればいいなという気持ちでいます。
死ぬまで駄目だと思え、か。


それではまた。