浪人ニッキ39

昨日に引き続き詩の紹介です。
聖母に恋をしてしまったひとりの騎士の話です。

むかし世に 貧しきひとりの騎士ありけり。ことばすくなく 飾りなく 打見に面ざし悲しげに 色蒼ざめたれど 心すなおに 肝ふとかりき。


人のさとりのおよばざる さる幻をいだきしが それが思いはいとふかくかれが心に刻まれぬ。


ジュネーブさしてゆく旅の 道のかたえの十字架のもと イエス・キリストが御母なる おとめマリヤのすがたを見たり。


それより心恋いこがれつつ ほかなる(おみな)を見もやらず 世をおわるまで そのひとりにも 言問うだにも うたてく思う。


それより頸には 布にかわりて 数珠をうちかけ 人目いといて はがね造りの兜の面頬ひきあぐることもなかりき。


神にもイエス・キリストにも はた聖霊にも 祈らざりければ さてもあやしの騎士かなと 世のひとかたみに語り合えり。


うちつぎて夜もすがら 聖母が御像のまえにひざつき 愁いのまなかい打ちそそぎ ことばなくなみだ流せり。


信と愛とに満てる心を ゆるがぬ誠の願いにゆだね 楯のおもてに血汐もて Ave, Mater Dei(1) としるしたり。


かかりしほどに おのこらは ひるむ敵ばら迎えうち 心の(おみな)が名をおらびつつ パレスチーナの荒野を馳せぬ。


Lumen Coelum, Sancta Rosa!(2) 騎士は並びなき大音声(だいおんじょう)あげ 攻めたたかいて ひしめきかこむ邪教のやからを蹴散らせり。


はるけきおのが館に帰り かたくこもりて日をすごすほど 恋こがれつつ 愁いにやつれ 聖餐も受けで空しくなりぬ。


いまわのきわに悪魔きたりて 騎士が霊をば おのれが国に つれ行かんとたばかりて いとあしざまに神に告げたり。


これなる者は神にも祈らず 精進の勤めもおこたり イエス・キリストが御母の上に 道ならぬ想いをかけぬと。


されど聖母は かれが上をば いともあわれにおぼしめされて ふた心なき おのれが騎士を神の国へと迎え入れぬ。



(1) 聖母に幸あれ
(2) 御空のひかり、きよきばら!

(プーシキン、金子幸彦訳)


とても清らかな詩です。
純粋なる愛というものでしょうか。
それではまた。