ヤル気と無意欲に関する話

やあす。社会の腐葉土ことうちおです。


早速ですが、ぼくが最近読んでいる本に、『自殺の危機とカウンセリング』
というものがあります。まだ読み始めで、導入部は一自殺志願者として
あまり納得のいかない部分もあるのですが、
「人間は達成の見込がないことには努力をしないようできている」
といった趣旨のことには共感を覚えました。
裏返せば、努力をするならば、あるいは意欲をもつには、
達成可能な目標を掲げないといかんということです。


また太宰治の『かすかな声』という随筆の中に、
「『自信とは何ですか。』『将来の燭光を見たときの心の姿です。』」
というくだりがあります。これも上と同じようなことを言っているように思います。


つまり、ヒトは、「これは無理だ」と思った瞬間に、意欲を失う。こういうことです。
そしてまた、「これならいけるかも」と思ってはじめて、意欲や希望、
自信というものが湧いてくる。


ぼくの生活にもこのことが大いに適用できて、例えばいまは
「ヨコイチ(横浜市立大)はもう無理だ」 と思っているからやる気がナッシングなわけで、
ヤマナシ(山梨大)ならギリギリいけるかもなぁ」という予測に対しては、
意欲もチビっと湧いてくる。


だから、もしあなたが自信を失っているならば(ぼくもまたそうですが)、
大切なのは、「できそうな目標を立てる」ということだと思います。
よく「大きな目標を達成するためには、複数のステップ(あるいは短いスパン)に分けて」
といわれることとほぼ同じです。


とまあ要は高望みするな、というわけです。
誰にでもできるその時その時でできることの範囲というのは大体決まっていますから、
あまり高望みはしない方がいい。あくまでこれは市井の人間としての意見です。
自分に能力があると思うならば、たくさんのことを望めばいい。


少し話が抽象的になってきました。
ここで受験(に限ったことでもないですが)のハナシにつなげると、
例えば「一日に数学2題、生物を2題、化学を3題を解き、英語を軽くやる」
(ぼくの実際の目標です)というように、かなり軽いノルマを立てる。
で、ノルマが終わったらブックオフで立ち読みするなりゲーセンにいくなりすればいい。
大切なのは、勉強(仕事、成果)の量よりも、達成感により得られる自信そのものです。
逆に言えば、自信を取り戻すために、ノルマはできるだけ低く設定すべきだと思います。
もし生活に対して自信を失っているならば、「外へ出る」とか「ご飯を食べる」とか
そういったレベルのノルマを立てたっていいと思います。
その上で自信がついたならば、もう少し多くのことをすればいい。
というよりも、そうすることによってしか、一度失った意欲というものは
簡単に取り戻せるものではないとおもいます。


以前引用した言葉になりますが、フランスの哲学者アランの言葉に、
「落ち込み(accablement)―これはたくさんの大きな不幸や小さな不幸と出会うことから起きる。希望の見えない悲しみの状態である。落ち込みに対しては次の格言が勧められる。『一度にただ一つのことをやるがいい』」。

これも最初の二つとほぼ同じことを言っていると見ていいでしょう。


とはいえそう簡単に行かないのも事実で、ぼくは自称「軽い」ノルマを立てておきながら、
2日連続で不達成でした。今日なんか勉強するタイミングを失って半日マンガ立ち読みしてたし。
(さくらももこの『コジコジ』いいね!)まあしかし、「もうちょいがんばればいけるかな」
というレベルであれば、少しはやる気も出てくるんじゃないかな、とにらんでるわけです。
その辺のコントロールはとても難しいところですね。


今日の内容を一言でまとめると、ニートの社会復帰は困難だ」ということです。
ええまあぼくもニートですから。


全然関係ないですが、さっきモーグル予選で上村愛子見ました。
エアー成功してよかった。実はぼくは中学時代上村愛子のファンブックを買ったり大会の滑りを
ビデオに収めたりしていたほどの愛子ファンです。
あの笑顔がね〜。それとハスキーな声もたまらんね上村愛子
本戦で笑顔が炸裂するといいんですが。予選は笑ってなかったよ。
まあ見るかわからないけど今後の滑りに期待。


ではまたニート

自殺の危機とカウンセリング―自殺念慮への対応とディブリーフィング

自殺の危機とカウンセリング―自殺念慮への対応とディブリーフィング

もの思う葦 (新潮文庫)

もの思う葦 (新潮文庫)

アラン定義集 (岩波文庫)

アラン定義集 (岩波文庫)