意識の相対性に関する話

久々に本屋に行ったので、仏教コミックスを読んできました。
仏教コミックスに関しては、http://d.hatena.ne.jp/uchiochan/20050925および
http://d.hatena.ne.jp/uchiochan/20050926を参照してください)
このシリーズは全部で108冊あるのですが
(よく考えると人間の煩悩の数の108冊あるんですね)、
今回読んだのは『まんが仏教生き方相談』。
今作は、原作者のひろさちやさんと漫画担当の吉森みき男さんが
ひろさんに寄せられた人生相談の手紙について対談するという、
画期的なんだか手抜きなんだかわからない形式による漫画です。
相談者は、何度もお金を無心してくるだめな義弟を持つ男性や、
好きな男に裏切られたOL、一生ツキがなく、成功者になった友人を
うらやむ中年おじさんなどです。


これを読んでも思ったのですが、最近思うのは、人間の生活というのは相対的なものなんだな、
ということです。どういうことかというと、ぼくは先週精神科で薬を増やしてもらい、
最近その効果が出てきて幾分気分が高揚しているのですが、
抑鬱とした気分にあるときと、今のような明るい気分にある時では
(当たり前なのですが)、ものの感じ方や、考え方一つとっても、随分違うんですね。
ものの捉え方が変化していながらも、それでいて、「もの」そのものは
何も変化していない、このようなことは生活の中でよくあることだと思います。
僕たちは普段見るものや接するものは絶対的なものであるであると考えがちですが、
このように自分が変わることで、「もの」の感じ方が変化するのであれば、
それは絶対的ではなくむしろ、相対的であると考えるほうが自然だと思います。
これは至極当たり前のことなのですが、普段それといって意識される問題ではない気がします。


ぼくたちが接するものは絶対的ではなく、相対的なものである。そう考えるとすると、
次に重要なのはいかり沢山の「基準」をもてるか、だと思います。
(絶対性においては、基準は1つです)
良い気分にあるときの自分、悲しい気分にあるときの自分、昨日の自分、子供の頃の自分…。
その時々で、もっとも良い解釈のできる基準に立つことができれば、
生活もいくらか楽になるのではないかと思います。
例えば友人にひどい仕打ちを受けたからって、受け止め方は一つではない。
過去の自分においては、どう受け止めただろう?
楽しい気分にある自分が、このような仕打ちを受けたら、どのように考えるだろう?
彼の仕打ちを、もっとも有益に解釈できる自分とは、どのようなときの自分だろう、
そしてまたそのときの解釈はどのようなものが考えられるだろう?
そのように考えられると、腹を立てることや嫌な気分になることも少しは
減るのではないかと思います。またそのことで解決できる問題もあるかもしれません。
ところで基準は自分でなくてもいいわけですから、例えば仲のいい友達だったら
どう考えるだろう、とか、尊敬するあの人だったらどう感じるだろう、とか、
他人を基準に考えるということも、役に立つことだと思います。
ですから、意識の相対性といったものを持つことができればいいと思います。


これと同じで、仏教に限らず宗教一般も、ものごとに直接的に働きかける
(つまり、具体的に行動を取って問題解決をはかる)というよりは、
自分がいかに物事の多角的な捉え方ができるか、という立場に立っているのだと思いました。
ですから今日読んだ『まんが仏教生き方相談』でも、さちさんは相談者に対して、
ああしろとかこうしろ、というのではなく、こう考えてみてはどうか、
またこのように受け止めてはどうか、という助言にとどまっています。
考え方如何によっては、ものごとはプラスにもマイナスにもなり得る。
しかし、マイナスであると思い込んでいる限りは、マイナスにしかならないんだなと。
また自分の立つ位置を変えることで、ものごとに対する認識を変えることができ、
認識が僕たちが対象を認知する唯一の手段である以上、そのものそのものを、
ある意味で(主観の上で、という意味で)変化させることができるのではないか。
そのようなことを、この本を読んで感じました。


多様な立場に立って考える、というのはとても難しいことです。
それは月並みですが、いろんな人と話をしたり、いろんな本を読んだり、
自分では思いもつかなかった考えに触れることによって、養われていく能力なのだと思います。


そんなことを考えながら、『まんが仏教生き方相談』を手に取りレジに向かったわけですが、
ここではたと、この本に「小欲知足」ということが書いてあるが、
いま自分がこの本を立ち読みするだけで満足せずに、実際買おうとしていることは、
小欲知足の考え方に大きく反しているのではないか、と気付き苦笑しました。
まあ一度に全部の考え方を実践するのは難しいですね。
一つずつものにしていかないと。


長くなりましたが、それではまた。