浪人ニッキ16

昨日の続きです。


昨日も書いたとおり、岡山大学を選んだわけは、岡山に駒沢先生がいらっしゃるからです。
しかし駒沢先生は開業医です。しかもすでに年齢は60歳を越えています。
九大医学部にいる知人の方に聞いてみたところ、大規模な病院でないと、
インターン期間中に開業医の先生に師事することは難しいとのこと。
しかもインターンを終えた8年後には先生は現役を退かれているかもしれません。
駒沢先生に師事するというのはあまり現実的ではないようです。
そう考えると、岡山大を志望校に選ぶ意味というのはなくなってしまいます。
やはり、九大を目指すべきなのでしょうか。


しかし受験する大学のことを考えているうちに、「親元を離れて暮らしてみたい」
という思いが強くなってきました。ぼくの家庭は両親もなかなか理解があるし、
非常に恵まれている環境だと思うのですが、反面子供に手をかけすぎるという欠点があります。
医学部に進むとなると、少なくとも6年間は学生でいなければなりません。
最低でも6年間は、実家に居座ることになるでしょう。
しかし、ぼくは親のすねを齧っていていいことは一つもないと考えます。
自分は精神的苦労というのは人並み程度にはしてきたつもりですが、
肉体的苦労というか、生活的苦労に関しては、全くしたことがありません。
海外暮らしをし、海外旅行も数ヶ国し、いい高校にも進んだ。お金も湯水のように使う。
生活的苦労を知らないわけですね。生物学的には非常に弱い存在といえるでしょう。
だからこそ、一度一人で暮らしてみたいと思うわけです。
一人で暮らすなら、九大は受けられない。
福岡にいる限り、わざわざ実家を離れることはないからです。
そうすると、(家賃のことも考えると都市部ではなく)地方大学を受ける方がいい。

その一つの候補として、岡山大学は「アリ」なわけです。
が、先にも書いたとおり、駒沢先生に師事するという本来の目的は、すでに失われています。
ですがまあ、これも仏縁というか、岡山大学を目指してみるのもいいかな、
という思いはあります。なんら論理的根拠も目的もありません。
ただ駒沢先生という縁によって引き合わせられた、と考えるわけです。
ぼくは、論理的なものだけが大事だとは考えません。
明確な理由はないですが、なにかの縁と思い岡山大学を目指してみるのもいいだろう、と。
しかしまあ、岡山大学と決め付けるのも、ある意味「未来を規定」しているわけですね。
これは自己矛盾ですね。もうちょっとフレキシブルに考えないと。


もう一つ問題があります。
それは「留学」ということです。ぼくは小学校〜中学校にかけてアメリカで生活したため、
米国の学校の良さ(と同時に辛さ)を感じました。教育的には、向こうの学校の方がはるかに
優れていると思います。(余談ですが、筑波大駒場高校は海外の学校にヒケをとりません。
あそこだけは全国でもかなり特別な学校だと思います。)
ですから、向こうで医学を学んでみたい、という気持ちが少しあります。
留学するとなれば勿論1年〜数年間海外で一人で生活するわけですから、
九大に進んだっていいわけですね。
というか、金銭的な問題から、親元で暮らさないと留学は難しいでしょう。
親元で暮らしていたって、バイト代をかなり貯めないと厳しい。
ですから、留学も一つの問題ではあります。
なかなか難しいですね。
ゆっくり考えてみます。