他力に関する話

昨日の記事に書いた、五木寛之さんの『他力』を読み進めています。
他力とは、仏様(仏とは本当は実体のないものらしいのですが、
詳しい話はまだわかりません)による、私たちへの働きかけ。
よろずのことで、この見えない働きかけに依らずに起こるものはない。
よろずのことは、業や、機縁によって支配されている、私たちの支配の及ばないもの。
(『他力』には、仏教的な話はほとんど含まれていません。念のため。)
そのように考えれば、もはや色々なことに心配することが無駄にも思えてくるから不思議です。
まさに親鸞聖人の「わがはからいにあらず」という言葉の通り、
人事の及ぶところではない。いや、五木さんは「人事をつくすは、これ天命なり」とさえ言います。
自分一人よりも、この地球より、もっと大きな何かが、私たちを取り巻いているのかもしれない。
私たちはただ、その何かに巻かれていくだけ...そのような考え方も可能だとわかりました。


五木さんの文章はいつも優しく(易しく)、心に染み入るような感覚を覚えます。
きっとたくさん辛い思いをしてきた分だけ、慈悲があるだろうと思います。
自分も人には言えないような辛い思いを沢山してきましたが、
(これは誰にとっても同じでしょうが)、ぼくがいまだに生きているということも、
何かの縁かもしれない。また今後何が起こるかもわからないし、
いつ死ぬのかもわからない。ほんに、「わがはからいにあらず」なのだと思います。
まだ読んでいる途中のですので、何かあれば書き足したいと思います。


親鸞聖人の『教行信証』の注釈書(星野元豊著)もとろとろと読んでいるのですが、
こちらは一筋縄ではいきません。少しずつ意味をかみ締めていきたいと思います。
それではまた。

講解教行信証 教の巻・行の巻

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