自殺論

寝る前にラーゲルクヴィスト『バラバ』高橋祥友『自殺の危険』を読み進める。


ここで帝王の自殺についての事情説明を。まず紹介。自殺未遂→1回(首つり。奇跡的に助かる)、自殺企画→5回以上(樹海、心中など)。


ここで原因についての考察。帝王が自殺について考え始めたのは小学校の高学年から。当時アメリカ現地校の勉強が破壊的に厳しかったのです。
(英語学ぶ前に渡米したし)


自殺の考えは癌のようなもので、一度頭に浮かぶとその後危機的な状況(主観的に)に追い込まれると自殺しか解決方法が浮かばなくなる。次の自殺願望は高校受験時の親の過保護が原因でした。


それから高校に入学し落ちこぼれ、学生生活もつまらなく二年生からうつ病が発症する。この頃高尾山に首をつりにいくも未遂に終わる。三年生で受験に猛烈に取り組みセンター試験は乗り切るが、その後調子を崩し二次試験で失敗。


一浪目は親の仕事の関係で福岡に移り住む。この頃一年がもっとも辛かった時期。親の小言、夫婦の不仲(親父が短気)、粘着質な親の態度(常に子供を監視する)に耐えきれなく、うつ病が悪化。夏から精神科に通い始める。


ここでも母親の「はやく中学校の頃の活発なともちゃんに戻って」(今でも話す度に言われる)という執拗な嫌がらせともとれる発言に、自己を否定されていると感じ余計に病状が悪化する。秋ごろ、知人に樹海で心中を持ちかける。それからトイレで首つりを図るも途中で見付かり未遂に終わる。


冬に入り、突発的に死を決意し家族が不在の時に首つりを実行。数十秒意識を失い三途の河を渡りかけるも、途中で意識を取り戻し未遂に終わる。奇跡的に後遺症は軽い健忘のみ。


意識を取り戻してからすぐに精神科に向かい自殺を図ったことを告げる。後日母親と診察に訪れ、担当医が子供の自殺未遂を告げる。その後担当医の提案で紆余曲折ののち東京で自活を始める。


自活をはじめてからも波はあり、八月の誕生日前に心中の持ちかけ、自殺企画を図る。同月30日、二十歳を迎える。


いま思えば小学校の頃から「自分は二十歳までに自殺する」という強い予感を抱いており、それが深層心理下で自殺願望を引き起こしていたものと思われる。


事実、無事二十歳も迎え9月15日のバッハ『ロ短調ミサ曲』が成功に終わってからは、うつが全く襲ってこない。不眠症もその二つの出来事をきっかけにほぼ完治し、現在うつは寛解(完治)に向かっています。


…だが怠けぐせは相変わらず治らず。んまあ一生の付き合いでしょうかね。